宇多田ヒカル「俺の彼女」歌詞について
歌詞の引用は極力しないよ。
この文章を書こうと思った理由は、ちょろっと検索して出てくる歌詞の考察の甘さが目についたからです。特に、フランス語の部分。
宇多田ヒカルのFantômeというアルバムの2曲目に、「俺の彼女」という曲が入っています。
ちょっと出だしを聞くと、なんかカッコつけた若い男がイキってて、
「俺の彼女は見た目もそこそこいいし俺の仲間からの評判もいいし、なにより女々しく余計なこと聞いてこないんだぜ」
みたいな感じの、ブルースみたいな始まりなんですよね。俺のレとか巻き舌みたいな。宇多田ヒカルの幅広い表現がなせるワイルドっぽい歌い方もはまってて。
で、一転して、透明感のある女の人の声が流れてくるんです。いや、宇多田ヒカルなんだけど。凄いよね…。
「貴方の隣にいるのは、私のはずだけど…本当の私じゃない。面倒に思われたくなくて、演じているの。」
そんな内容の心情が、曲調も歌い方もガラッと変わって切実に描写される。
一方で、また色々あってから男の人のパートになったら、今度は男の本音が出てくる。
「俺は本当は夢がない、つまんない男。彼女もきっとそのうち、離れていくんだ。」
みたいな感じの。この辺になると、曲も盛り上がりで、ブルース感(?)とか低音のベースブンブンだけじゃなくて、女の人のパートの雰囲気とも融合してくる。
で、引用なんですけど、女の人がこう言うんです。
《本当に欲しいもの、欲しがる勇気欲しい。》
《最近思うのよ。抱き合うたびに。身体よりずっと奥に招きたい。招きたい。
身体よりもっと奥に触りたい。触りたい。》
しびれる!!!
身体なんかより奥に、物理的な接触なんかより、もっと深く深く招きたい。来て欲しい。もっともっと受け入れたい。本当にわかり合いたい。愛って、そういうことだから、私は、本音で愛したい。私の全てを見せて、私の全てで包み込みたい。そういう渇いた叫びが、囁くように、でも高揚として歌い上げられる。
このへんで、(ほんとはちょっと前にも)突然フランス語が挟まります。まぁ、フランス語は愛を語るのに最も適した言葉だとかなんとか。しかも宇多田ヒカルの発音が本格的なんです。これもたぶん引用します。
《Je veux inviter quelqu'un à entrer
Quelqu'un à trouver ma vérité 》
訳すると、
〈私は誰か…私の「真実」を見つけてくれる人を、入ってくれる人を、招きたい。〉
Je veux〜 はけっこう強めの欲求です。英訳するとI wantって感じなんだけど、ニュアンス的にはどストレートに欲望!!!って気がする。
で、こう続くんです。
《Je veux inviter quelqu'un à toucher
L'éternité, l'éternité
Je veux t'invite》
解釈としては、toucher(触る/動詞/原形)がL'éternité(定冠詞+永遠/名詞)にかかってるかどうかで変わるんですけど。大文字で文頭になってるから、違う文なのかしら…という気持ちで訳します。
〈私は招きたい、触ってくれる人を。永遠に、永遠に…。私は「君を」招くの。〉
Je veux t'invite.が、たくさんの解説で抜け落ちてて、どうしても補足したくなったんです。
フランス語は、動詞の作用する相手を前に持って来る(代名詞みたいな)ことができます。で、「t'」ってのは、母音がぶつかってeが消えた「te」=「君(親しい人に使う二人称)」なんです。
だから、この自称つまらん夢のない男ののことを指してるんです、多分。
大体、女の人からしたら男のひとが夢もなくつまんないよ、俺なんて、って思ってることなんてお見通しですよね、きっと。だからね、女の人は本当に相手のことを愛して、全てを開きたいと思っている。怖くて、強い女を演じてしまうほどに、他の誰でもない「俺」のことを想っているのです。
人とひとが向き合うときの危ういバランスと、愛の深さと、踏み出す一歩を怖がる気持ちと、踏み出したい衝動と、自信と、強さと…人の脆さをさらけ出したすごい歌詞と、それを歌い上げる歌唱力。
そんなことを思いました。