This is KANSOU

漫画を読んだり、アニメを観たりしたときの感想をアツいうちにしたためる

浅倉透の破壊衝動

シャニマスやってますか。以下、浅倉透に関してコミュのネタバレなどあるので要注意です。

 

 

浅倉透とは、一つの閉じた世界だと言えるんじゃないか……と考えたことを色々と書くことにした。

彼女のコミュ(エピソード)を読んでいると、"浮世離れしている""何を考えているかわからない""カリスマ性をもつ"描写が数多く登場する。

また、彼女は幼なじみの3人とユニットを組んでいるけれども、それはユニットというより幼なじみという側面が強く出たある種異色なアイドルグループとして描かれる。この点だけでも、浅倉透という世界のシステム(系と書きたいけど世界系という言葉になっちゃうんだよな)に共感していただけるPも多いのでは?

 

どこのコミュでだったか忘れたが、浅倉透とプロデューサーが一緒に高台から景色を眺めたとき、彼女が"この世界は誰かのものなのだろうか"と問いかける場面があった(この質問は彼女にとって非常に大切なものだろう)。初見時この場面で急に世界が出てきて何を言ってるんだこの子は……?になったが、これこそ"浅倉透"と"(Pのいる)世界"が単純に同等のものごとであると言える根拠の一つだ。同等のものごとというのは、例えが最悪だがふりかけAとふりかけBみたいな意味だ。

さまざまなコミュ内で、浅倉透と交流する人々(Pを含む)が彼女の独特のテンポにいつの間にか巻き込まれる様子が描かれている。この描写によって浅倉透のもつ影響力の大きさがわかる一方で、その影響下から脱したいわゆるいつも通りの世界も強調されるのだ。つまり彼女という世界は決してこちらの世界と交わることはなく、ただ重なり合うことで観測される。彼女が去った後、余韻のみが残り、それも減衰してやがて消える。彼女の変化を時系列で整理することが難しいのも、そのとき重なり合う領域自体が変化してしまうからとも言えるのではないか。

 

さて、浅倉透の世界の殻を、彼女自身半分気怠く思っていることはゲームの端々に登場する言葉から推測できる。しかし、その殻を彼女自身が破ることは出来ない(少なくとも感謝祭のシナリオまででは)。何故なら、居心地の良さも感じているからだ。幼馴染で構成された、ずっと続いていく世界。だから人工衛星は、遠心力(てことにしておく)と万有引力の力の釣り合いで、回り続けているのだ。(※ハウ・アー・UFOのコミュ)

人工衛星は、UFOではない。宇宙人も乗ってないし、マンモクスンも乗ってない。学校に落ちてくる隕石でもない。(※浅倉透と和泉愛依の会話)

ハウ・アー・UFOのコミュで大写しになるカメラレンズは、浅倉透の瞳の色によく似ている。そのコミュでの「め を やく」の台詞や、宇宙人が「侵略」しにやってくると言い切ることに、彼女の日常への破壊衝動が見受けられはしないだろうか。彼女の瞳から見える世界は、きっとスマホには写らないだろう。だから何度も写真を撮るのだ。

彼女(あるいは浅倉透を含む幼馴染たち)の世界に変革をもたらすのは、宇宙人が侵略して来るかマンモクスンが全てを破壊するかぐらいのことが手っ取り早いのだ。

 

ヤコウチュウ(ノクチルカ)は波打ち際で光る。

波打ち際とは自由と不自由の境界線と言い換えられるし、そもそも夜光虫が波打ち際で光るのは物理的な刺激に応答しているからということを踏まえると、浅倉透という世界が抱えるどうしようもなさが一層浮き彫りになる。

彼女がときどき破壊衝動のようなものを見せるのも、ヤコウチュウが光って綺麗なのだから当然なのだ。